田野瀬大和大学学長さん

大和大学の学長さん  

大和大学 学長メッセージ(←外部リンク)より


 田野瀬 良太郎(Ryotaro Tanose)

学長・西大和学園創始者

私たち「学校法人西大和学園」が、最初の教育機関として西大和学園高等学校を設立したのは、今から約35年前です。すべてが新しい学校で、ゼロからのスタートでありました。しかし、生徒の夢の実現を、全力で応援する教職員の情熱だけは際立っていました。その後の本学園の発展につきましては多くの方々の知るところであり、毎年、国内の超難関大学へ数多くの進学実績を残す西大和学園高等学校は、今や日本有数の中高一貫校として、その存在感を高めております。「情熱」は西大和学園すべての学校に共通するキーワードです。いかに時代が変容しても、教育の根本はそこにあると信じております。
2014年4月、西大和学園グループの集大成として開学した「大和大学」は、学生と教職員の「情熱」が共振する西大和学園ならではの学風を貫き、次代を担うにふさわしい人材へと着実に成長できる教育・研究体制を整えております。
「大和大学」のスローガンは「大志を、まとえ。」です。
この言葉は学生たちとともに、大学づくりに取り組む私たちにも向けられております。「学生の目標達成のために全力を尽くす大学」というポリシーのもと、入学者には大きな夢と目標を持って本学に入学していただきたいという強い願いを込めました。
これまでの大学にはない、新しい価値の創造をめざして、ともに邁進していきたい。「未来を切り拓く」という大志を持つ皆さんと一緒に、大きな夢を実現させたいと考えております。

経歴(プロフィール)

大学時代1年間アルバイトをしながら、ロシアからヨーロッパ、中近東、東南アジア等33カ国を歴訪。これを機に政治の道を志し、1973年市議会議員初当選。その後、県会議員、衆議院議員に当選し、自治政務次官、財務副大臣、自民党文部科学部会長、自民党三役・総務会長等を務める。議員活動を始めてまもなく、教育は政治上の最重要課題であると痛感し、実践として1981年なかよし保育園を開園。西大和学園高等学校、西大和学園中学校、西大和学園カリフォルニア校、白鳳女子短期大学(現 白鳳短期大学)を設立し、2014年4月、西大和学園の集大成として大和大学を開学し、学長に就任。名古屋工業大学卒、柔道5段。著書『西大和学園の奇跡』、『田舎に帰った青年が三バン(地盤・看板・鞄)もなく国会議員になった話』主婦の友社より発行。2017年春の叙勲において「旭日重光章」受章。 

 やはり、大和大学をよく知るには、田野瀬学長さんのご著書2冊を読まないといけないだろうということで、読んでみました。

 どちらの本も西大和学園の集大成として、大和大学を設立した熱い思いが伝わってきて、良い本です!


田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話―西大和学園の奇跡  (←外部リンク、2015年出版)

  西大和学園の設立から今日までの話(大和大学の設置も少し)

 今、大和大学で学部長を務めている方々が西大和学園に就職された時の状況が出てくるなど興味深い内容でした。当時の若い先生方が中心となり、頑張り、今日の西大和学園を作り上げたのが分かります。

 この中で、進学実績へのこだわりなども垣間見え、西大和学園1期生は関西大学への合格20名であった(結果、22名の合格と目標達成)2期生は、大阪大学、神戸大学への進学を目標、最終的な目標は、灘中高を抜くことなど当初から、目標とし、これに向かい、努力していったようです。

 そして、学校を立ち上げる立場で考えると、どのような制度・仕組みにするとか参考になります。


田舎に帰った青年が三バン(地盤・看板・鞄)もなく国会議員になった話  (←外部リンク、2017年出版)

[Google Books]

→ こちらは、主に政治の話。

  政治=選挙ということで、特に、後援会の重要さを強調されていました、また山崎拓先生や石原伸晃先生との関係も何となく分かる。また、この本からこれから田野瀬さんのお人柄・考えがわかり、これまた良い本です。

1/3くらいは、前著と被っている印象です。)



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